橫田國臣 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 大分縣平民 | |
職業 | 法學博士、判事、大審院長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年八月九日 (1850) | |
親名・続柄 | 橫田宗雄の長男 | |
家族 | 妻 テイ 文久元、九生、大分、平、廣瀨三右衛門長女 庶子男 祐 明三〇、四生、生母、東京府人西村ナヲ 弟 五郞 明二、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 君は大分縣平民亡橫田宗雄の長男にして嘉永三年八月九日を以て生れ明治二十四年八月弟四郞の後を亨け家督を相續す曾て職を埼玉縣に奉し後司法省に轉して十二等出仕となり檢事補より檢事に任せられ爾來司法省權少書記官統計委員參事院員補同官補司法書記官に歷任し同十九年自費を以て歐洲に留學し同二十年歸朝東京控訴院檢事となり司法省參事官を兼ね次て專任參事官となり民刑局長司法次官を經て東京控訴院檢事長に轉し後判事に任し大審院長に補せられ現に其職に在り 家族は尚庶子男儔(明三三、四生、生母、東京府人西村ナヲ)同康(同三八、一生、生母同上)同女織子(同四五、一生、生母同上)あり 弟四郞(文久三、六生)長女節(明二六、四生)は各分家し妹千壽(元治元、一二生)は大分縣平民渡邊左馬太に養子マキ(明二七、七生、大分、平、佐藤善助二女)は香川縣士族揚小三郞弟琢二郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、神樂町二ノ二〇 電話番町二四〇一 | |
参照人物(親類) | 橫田五郞、揚小三郞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | よこた くにおみ | |
別名 |