橫尾孝之亮 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 兵庫縣平民 | |
職業 | タタサンス商會支配人 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治元年九月十六日 (1868) | |
親名・続柄 | 橫尾與三郞の二男 | |
家族 | 母 みよ 天保一〇、三生 妻 きくゑ 慶應元、一生、兵庫、平、佐々木朝賢二女 男 孝 明二四、六生、京都帝國大學理科大學在學 女 富士子 明二九、一生、山脇高等女學校在學 女 靜子 明三一、四生、東京女子英學塾在學 | |
記述部分(略伝) | 君は兵庫縣平民橫尾與三郞の二男にして明治元年九月十六日を以て生れ同三十年六月家督を相續す同二十二年市立大阪商業學校を卒業し直に内外綿株式會社に入り外國綿花直輸入の途を圖り大に社業を隆盛ならしめたり同二十五年轉して神戸タタ商會に入り專ら本邦印度間貿易の發展に努め且つ孟買航路の開始に斡旋す同三十年再ひ内外綿株式會社副支配人に就任し歐米各國を視察し挨及印度を經て三十三年七月歸朝同年十月同社か支店を北米紐育市に開設するや君之か經營の任に當り滯米二年にして歸朝し支配人に進み四十四年同社の綿花業を廢し專ら紡績業を經營するや辭して印度豪商タタ家の懇望を容れタタサンス商會に轉し綿花業に從事し現今に及ふ其間印度及清韓に航すること數回本邦綿業界に貢献せし定ころ勘なからす 家族は前記の外四女博子(明三六、六生)二男直行(同四〇、六生)五女勝子(同三九、一生)あり 長女俊子(同二六、一〇生)は岡山縣人阿部柏太郞長男八代太郞に妹よう(同六、五生)は兵庫縣平民中村總太郞に嫁し弟吾一郞(同一〇、七生)は其妻キミ子(同一八、二生、島根、平、桑原羊次郞養女)並に其子と共に分家せり | |
住所・電話番号 | 大阪、南、天王寺石ケ辻町五二九九 電話南四五三 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | よこお こうのすけ | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]