筧克彦 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 長野縣士族 | |
職業 | 法學博士、東京帝國大學法科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年十一月二十八日 (1872) | |
親名・続柄 | 筧朴郞の長男 | |
家族 | 父 朴郞 弘化三、八生、現戸主 母 〓へ 安政元、九生、亡祖父卷石長女 妻 君代 明一八、六生、東京府人杉山四五郞養妹 男 素彦 明三九、七生 | |
記述部分(略伝) | 君は長野縣士族筧朴郞の長男にして明治五年十一月二十八日を以て生る同三十年七月東京帝國大學法科大學英法科を卒業し法學士の稱號を得文官高等試驗に合格し進んて大學院に入る翌三十一年六月行政法研究の爲め獨逸國へ留學し同三十三年六月歸朝して東京帝國大學法科大學助教授に任し同三十六年八月同大學教授に進み尋て三十七年八月法學博土の學位を享け現に其職に在り尚佛教哲理西洋哲理上古神道大義國家の研究第一卷法理戯論等著書頗る多し 家族は前記の外二男泰彦(明四一、三生)同義彦(同四四、二生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、北町七 電話番町四七四〇 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | かけい かつひこ | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]