片倉健吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳六等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、北海道華族 | |
職業 | 後備陸軍步兵中尉 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年九月二十四日 (1870) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 養母 タケ 元治元、六生、北海道、平、赤城信一長女 妻 コウ 明一五、三生、義父景光長女 男 景明 明三六、一一生 養妹 キヨシ 明二八、五生 養大伯母 周 嘉永五、七生 | |
記述部分(略伝) | 當家は中納言伊達政宗の臣片倉小十郞景綱の末なり景綱政宗を輔けて諸所に戰ひ功あり豊臣秀吉甞て景綱を封するに三春三萬石を以てせんとす景綱既に伊達氏の封を受くるの故を以て之を辭す德川氏邸を江戸に賜ふ亦之を辭して受けす政宗之を白石一萬六千石に封す其歳入十萬石に比すと云ふ之れより數世を經世々仙臺藩の國老として先代景光に至る景光明治三年五月其祖父邦憲の支配所擔振國幌別郡に移住す同十年四月西南の役起るや北海道に有り開拓使屯田兵を遣り征討の軍に從はんと舊臣の壯丁五十名を結束して自ら率ゐ自費を以て從軍せん事を開拓使に出願す事例なきの故を以て許されす依て十餘名を選拔して出軍せしむ又日清の役起るや義勇團を組織して從軍せんとせしも許されすして止む同三十年七月特旨を以て華族に列し男爵を授けらる君其後を享く 君實は子爵伊達宗定の叔父にして明治三年九月二十四日を以て生れ同三十六年三月先代景光の養子となり同四十三年家督を相續し襲爵仰付らる曩に一年志願兵となり同三十七年十二月陸軍步兵中尉に陞さる 家族は前記の外養妹邦子(明三五、三生)長女照(同三九、三生)二男信光(同四二、二生)三男孝吉(大二、八生)あり 養祖父景範(天保九、五生)は養祖母從(同一四、四生)と共に分家し違從弟茂雄(明七、七生、養大伯父景正長男)も亦分家し同綾治(同一四、一〇生、同二男)養大伯父妻千里(嘉永六、二生、養大伯父景正妻、宮城縣人黑田高之亟四女)は共に分家違從弟片倉茂雄方へ入家し養叔母洋(明元、一生)は宮城縣人飯田愨の養子となり養妹セツ(同一七、一二生)は東京府人兵頭正通弟懿輝に嫁せり | |
住所・電話番号 | 宮城、刈田、白石町 | |
参照人物(親類) | 子爵伊達宗定、兵頭正通、※男爵伊達宗曜 | |
参照次数 | 3 (※なし2) | |
読み | かたくら けんきち | |
別名 |