茨木昭一 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、和歌山縣華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治八年五月十四日 (1875) | |
親名・続柄 | 茨木惟昭の長男 | |
家族 | 母 のふゑ 嘉永三、一〇生、和歌山、士、長屋千之亟三女 妻 花 明一一、二生、和歌山、士、古田庸長女 男 守之 明三四、四生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代惟昭より顯る惟昭幼名を守之助と稱し元治慶應の間長防兩度の征伐に從ひて軍功あり爾來藩の軍政に力を致し後職を陸軍に奉じ步兵第十四聯隊長兼小倉營所司令官軍法會議判士長參謀本部本官近衞參謀長戸山學校長步兵第十一旅團長金州城行政長官總督部參謀長兼民政部長步兵第八旅團長等に歷補し陸軍中將に陞進し從三位勳一等に叙せられ明治二十八年八月特旨を以て華族に列し男爵を授けらる 君は其長男にして明治八年五月十四日を以て生れ大正三年家督を相續し襲爵仰付らる甞て縣社南龍神社社掌官幣中社竈山神社主典たりしことあり 家族は前記の外長女繁子(明四一、二生)あり 妹路榮(同一二、一生)は東京府平民原錦吾に嫁し弟章三(同一四、四生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 和歌山市屋形町二ノ四 | |
参照人物(親類) | 原錦吾 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | いばらき しょういち | |
別名 |