飯塚彌一郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 新潟縣平民 | |
職業 | 株式會社柏崎銀行頭取、同柏崎米穀取引所理事、同百三十九銀行取締役、日本石油株式會社、北溟酒造株式會社、北越殖民株式會社各監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永五年七月七日 (1852) | |
親名・続柄 | 飯塚彌兵衞の長男 | |
家族 | 妻 テウ 安政五、五生、新潟、平、高野六太夫長女 男 知信 明二五、六生 婦 貞子 明二七、一二生、二男知信妻、新潟、平、關矢孫一妹 | |
記述部分(略伝) | 君は新潟縣平民亡飯塚彌兵衞の長男にして嘉永五年七月七日を以て生れ明治元年六月家督を相續す方今前揭諸會社銀▲の重役として知らる 長女梅子(明一二、二生)は北海道平民高野新一に二女アイ(同一六、四生)は新潟縣人增田辨治郞長男太平治に三女シン(同二二、五生)は同縣人伊藤文吉叔父九郞太に嫁し弟善作(文久三、一二生)は其妻子と共に同縣平民澁谷初次郞の養子として入れり | |
住所・電話番号 | 新潟、刈羽、高田村 | |
参照人物(親類) | 關矢孫一、增田太平治、澁谷善作 | |
参照次数 | 5 (※なし4) | |
読み | いいづか やいちろう | |
別名 |