和田豐治 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 大分縣士族 | |
職業 | 富士紡績株式會社專務取締役、九州▲力電氣株式會社相談役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久元年十一月十八日 (1861) | |
親名・続柄 | 和田薰六の長男 | |
家族 | 母 コウ 天保八、三生、大分、士、間田彦兵衞長女 妻 ヲリヱ 明六、一生、大分、士、川端知十郞妹 | |
記述部分(略伝) | 君は大分縣豐後中津藩の舊臣和田薰六の長男にして文久元年十一月十八日を以て生れ明治十二年十月家督を相續す弱冠にして福澤翁の後援を得慶應義塾に入學し明治十七年卒業す後實業視察の爲め米國に渡航し歸朝後日本郵船株式會社神戸支店長に擧けられしか幾許もなくして三井銀行に轉し橫濱支店副支配人となり鐘淵紡績株式會社支配人を兼ね拮据黽勉業務の刷新擴張を圖る後再綿布織物業視察の爲め歐米に派遣せられ歸朝後三井呉服店に入る時恰も富士紡績株式會社事業振はす將に解散の悲運に陷らんとするに際し同社重役の推す處となり其專務取締役に擧けられ同社の整理回復を托さる爾來鋭意精勵寢食を忘れて社業の發展に努むる事十餘年以て能く同社の今日あるを致せり傍ら九州水力電氣株式會社相談役たり 家族は前記の外養子米子(明四一、一〇生、大分、士、櫻井助五郞孫)あり 弟好一(同九、一〇生)は大分縣士族櫻井助五郞の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、本所、向島須崎町二三七 電話本所二一三一 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | わだ とよじ | |
別名 |