奥田義人 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 正二位、勳一等 | |
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Title/ Family rank etc. | 鳥取縣平民 | |
Occupation | 法學博士,貴族院議員 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 萬延元年六月十四日 (1860) | |
Parent and relation | 奥田銕藏の三男 | |
Family | 妻 やゑ 明元、八生、兵庫、士、武井正平二女 男 剛郞 明二一、一一生 女 龍 明二八、七生 女 文 明三一、二生 女 博 明三三、七生 | |
Biography | 君は鳥取縣士族奥田銕藏の三男にして萬延元年六月十四日を以て生れ明治二十八年八月分れて一家を創立す明治十七年東京大學法學部を卒業太政官御用掛となる十八年東京山林學校幹事兼助教に任し後農商務省參事官同大臣祕書官特許局長東京市區改正委員行政裁判所評定官高等商業學校商議員内閣官報局長法典調査會審査委員内閣書記官衆議院書記官長拓殖務次官農商務次官文部次官法制局長官等に歷任し同三十五年職を辭して野に下り鳥取市より擧けられて衆議院議員に當選すること三回後仕官して宮中顧問官となり第一次山本内閣の成るに及ひ入りて文部大臣兼司法大臣となる後ち同内閣總辭職と共に再ひ野に下れり先是明治四十五年貴族院議員に勅任せられ現に其任にあり曩に中央大學に在りて久しく育英に從事せり 家族は前記の外二男成孝(明三五、六生)三男正博(同三七、三生)あり 長女咲子(同二五、九生)は子爵松平忠敬嗣子海軍大尉正五位松平忠壽に嫁せり | |
Address phone | 東京、麴町、中六番町三六 電話番町一四五 | |
Relative | 子爵松平忠敬 | |
Degree | 1 (except※1) | |
Pronounciation | おくだ よしと | |
Another name |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- First Edition [April 1903]
- 4th Edition [January 1915]