岡田良平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 靜岡縣平民 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年五月四日 (1864) | |
親名・続柄 | 岡田良一郞の長男 | |
家族 | 父 良一郞 天保一〇、一〇生 母 ゑい 弘化元、六生、靜岡、平、竹山梅七郞長女 妻 操 明七、七生、滋賀、士、石黑務二女 弟 分平 明二〇、一生 弟妻 きよ 明二九、八生、弟分平妻、靜岡、平、尾崎元次郞長女 養妹 たつ 明二四、九生、父良一郞養女、靜岡、平、村松武一郞二女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊遠州掛川藩士岡田良一郞の長男にして元治元年五月四日を以て生る文部大臣一木喜德郞の實兄なり明治二十年文科大學を卒業し第一高等中學校教諭となり從七位に叙せらる爾來同教授文部省視學官同參事官山口高等中學校長文部書記官高等教育會議員文部參與官實業學務局長文部總務長官宮内省御用掛錦鷄間祇候等に歷仕し同三十七年貴族院議員に勅任せらる同三十三年佛國巴里に開かれたる萬國衞生及人口學會に委員として參列せり同四十年京都帝國大學總長たりしか同四十一年桂内閣の成るに及ひ人りて文部次官たり 弟繩平(明一四、七生)は分家し同純平(同五、二生)は靜岡縣平民竹山謙三の養子となり妹きむ(同一七、三生)は同縣人杉村七重郞長男七太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、原町一二五 電話番町九八五 | |
参照人物(親類) | 一木喜德郞、竹山純平、尾崎元次郞 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | おかだ りょうへい | |
別名 |