大島久直 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等、功二級 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊秋田藩士 | |
職業 | 後備陸軍大將 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年九月五日 (1848) | |
親名・続柄 | 大島源治の二男 | |
家族 | 妻 貞子 安政三、七生、茨城、士、赤松玄陽妹 男 忠 明二三、六生、從五位、陸軍騎兵少尉 男 佐 明二四、一一生、陸軍步兵少尉 男 環 明二七、三生、學習院高等科在學 | |
記述部分(略伝) | 君は舊秋田藩士大島源治の二男にして嘉永元年九月五日を以て生る夙に軍事に志し江戸に出てゝ苦學精勵せり後秋田藩第三大隊小隊司令官となり明治四年陸軍中尉に任せられ爾來累進して同三十一年陸軍中將となり同三十九年陸軍大將に親任し教育總監の要職に在りしも大正二年九月後備役被仰付其間總務局次長陸軍卿參謀副長東京衛戌司令官近衛步兵第三聯隊長陸軍大學校長步兵第五旅團長監軍部參謀長步兵第十一旅團長近衛師團長等に歷補す日清の役には步兵第六旅團長として出征し功あり功三級金鵄勳章を賜ひ二十八年八月華族に列し男爵を授けられ日露の役には第九師團長として旅順及奉天會戰に偉功を奏し功二級金鵄勳章を賜はり四十年九月子爵を授けらる 家族は前記の外八男卓(明三〇、九生)あり 二女妙子(同一七、一〇生)は愛知縣人岩田一に三女爲子(同二一、五生)は新潟縣平民山口達太郞長男誠太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、落合村下落合七七五 電話番町三九九三 | |
参照人物(親類) | 山口達太郞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | おおしま ひさなお | |
別名 |