大島義修 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 陸軍步兵中尉、第八高等學梭長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年八月一日 (1871) | |
親名・続柄 | 蘆田源五郞の四男 ** | |
家族 | 妻 綠 明五、六生、東京、平、大島貞敏長女 男 文義 明二七、三生 | |
記述部分(略伝) | 君は兵庫縣平民蘆田庸造の弟にして明治四年八月一日を以て生れ同二十五年五月出てゝ大島家を繼く同二十七年文科大學を卒業して文學士の稱號を得尋て大學院に入る日清戰役の際一年志願兵として胡北に轉戰し同三十年陸軍步兵少尉に任せらる戰後第四高等學校教授となり同三十二年文部省に出仕し視學官圖書審査官に歷任し東京音樂學校教授を經て同校長に任す日露の戰役起るや再ひ從軍し戰ひ止んて陸軍步兵中尉に陞任す更に文部省視學官を經て現今第八高等學校長として知らる先是露國神聖スタニシラス第三等勳章を賜はる 家族は前記の外二男知義(明三〇、三生)三男昭義(同三三、二生)四男康義(同三六、八生)あり | |
住所・電話番号 | 名古屋、東、撞木町、二ノ四 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | おおしま よしなが | |
別名 |
人事興信録
- 初版 [明治36(1903)年4月]
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]