大幸勇吉 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 石川縣士族 | |
職業 | 理學博士、京都帝國大學理科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年十二月二十二日 (1867) | |
親名・続柄 | 雨夜平八の二男 | |
家族 | 妻 とめ 明九、五生、埼玉、士、下山秀久妹 男 甫 明三七、五生 女 百世 明三〇、一〇生 | |
記述部分(略伝) | 君は石川縣士族雨夜平八の二男にして慶應二年十二月二十二日を以て生れ明治十五年一月先代長の養子となり家督を相續す同二十五年理科大學を卒業し理學士の稱號を得第五高第中學校教授に任し二十九年高等師範學校教授に轉し同三十二年五月化學硏究の爲め獨逸に留學し同三十五年十月歸朝翌三十六年二月論文提出により理學博士の學位を受け同年十月京都帝國大學理工科大學教授に任せられ方今同大學理科大學教授たり 家族は前記の外三女千代(明三九、一一生)四女萬壽(明四三、三生)二男正二(大二、一生)あり | |
住所・電話番号 | 京都、愛宕、下鴨村 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | おおさか ゆうきち | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]