伊澤修二 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 舊高遠藩士 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永四年六月二十九日 (1851) | |
親名・続柄 | 伊澤文容の長男 | |
家族 | 妻 ちよ 安政三、六生、德島、士、森重遠長女 男 勝麻呂 明二〇、一生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊高遠藩士伊澤文容の長男にして警視總監伊澤多喜男は君の令弟なり嘉永四年六月二十九日を以て生る明治五年文部省出仕となり後米國に差遣され同十八年以降文部省權大書記官同省編輯局長東京音樂學校長東京盲啞學校長文部省參事官臺灣總督府民政局事務官高等師範學校長等に歷任し各種小學校用書審査委員となること前後三回高等教育會議員同副會長を經て臨時假名遣調査委員會委員を仰付らる等專ら教育事業の爲めに盡瘁す又日本大博覽會評議員たり同三十年貴族院議員に勅選せられ三十七八年戰役の功に依り勳四等に叙▲旭日小綬章を賜はり後又吃音矯正上功勞顯著なるを以て勳三等に叙し旭日中綬章を授けらる 弟末五郞(明五、一一生)は分家し二女なつ(同一四、七生)は群馬縣人遠藤隆吉に三女和歌(同一六、一〇生)は長野縣人清水一德に四女乙女(同一七、一一生)は支那共和國浙江省人呉振麟に六女壽天(同一九、一一生)は香川縣人生田矢一に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、第六天町五〇 電話番町二〇九 | |
参照人物(親類) | 伊澤多喜男、清水一德 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | いざわ しゅうじ | |
別名 |