大橋孝七 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 京都府平民 | |
職業 | 染呉服半襟商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政六年十月十二日 (1859) | |
親名・続柄 | 大橋彌兵衛の三男 | |
家族 | 男 孝治郞 明二一、三生 男 政治郞 明二五、四生 | |
記述部分(略伝) | 君は京都府平民亡大橋彌兵衛の三男にして現代大橋彌兵衛の叔父なり安政六年十月十二日を以て生れ明治五年二月分家して一家を創立す染呉服半襟商を營み方今直接國税九百餘圓を納む 家族は前記の外四男孝造(明二九、一一生)五男孝吉(同三一、五生)六男竹造(同三三、一一生)あり 長女ヒテ(同一七、六生)は其夫孝助(同七、一生、滋賀、平、萬木文治郞長男)及ひ子女と共に分家し次女ナヲ(同一九、一生)は京都府平民内貴清兵衛に嫁し次男彌太郞(同二三、一一生)は同縣平民西村總左衛門の養子となり總太郞と改名せり | |
住所・電話番号 | 京都、下京、蛸藥師柳馬場東入油屋町 電話長中七三二 | |
参照人物(親類) | 大橋彌一郞、内貴清兵衛、西村總左衛門 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | おおはし こうしち | |
別名 |