大石正己 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳四等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 舊高知藩士 | |
職業 | 衆議院議員(高知縣郡部選出) | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政二年四月十一日 (1855) | |
親名・続柄 | 大石良則の二男 | |
家族 | 母 順 文政一一、一一生 男 明德 明九、四生 婦 カツ 明一八、六生、長男明德妻、栃木、平、關屋貞三郞妹 男 正勝 明二三、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は高知縣士族大石良則の二男にして安政二年四月十一日を以て生る幼にして東京に出て修學し明治十四年自由黨の組織なるや選はれて其常議員となり翌年脱黨して同志の士と國友會を起し各地に遊説して其擴張に盡瘁し同十八年爆裂彈買入事件に關し逮捕せられ在獄年餘出獄後米國に航し歸朝後雜誌「政論」を發行して其主筆となり健筆を振へり後英國に遊學し同二十五年歸朝す後擢てられて辨理公使に任し朝鮮に赴任す退官後進武黨に加盟し三十年六月憲政黨成るや農商務次官に任し尋て同大臣に任せられ正三位に叙せらる幾くもなく冠を挂けて野に下り第十二帝國議會解散後三重縣より選出せられて衆議院議員となり引續き今日に至り同志會に屬し其領袖たり日露事件の功により勳四等に叙し旭日小綬章を賜はる 家族は前記の外養弟義郞(明三二、六生、福島、平、鈴木萬次郞三男)庶子男開(同三七、七生、生母、渡邊くに)同了(同四〇、五生、生母高橋わか)同女春子(同四三、三生、生母同上)同秋子(大二、一〇生、生母、敷波八重)養子貞子(同三四、一一生、東京、平、橋本勳二女)孫俊彦(同四〇、一〇生、長男明德長男)あり 四男堅志郞(同二五、一一)生は分家し長女滿壽意(同二〇、二生)は福岡縣平民末松偕一郞に嫁し兄良道(嘉永元、五生)は其子女を伴ひ分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、四谷、傳馬町一ノ四五 電話番町四九〇 | |
参照人物(親類) | 鈴木萬次郞、關屋貞三郞 | |
参照次数 | 3 (※なし3) | |
読み | おおいし まさみ | |
別名 |