富田忠詮 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 旅順工科學堂教授、電氣工學科長、第一部長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年六月二日 (1872) | |
親名・続柄 | 富田長則の二男 | |
家族 | 妻 京 明一六、一二生、東京、士、富田又錄二女 男 勇 明三七、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊丹波龜岡藩士富田長則の二男にして明治五年六月二日を以て生れ同二十九年兄直詮方より分れて一家を創立す同年七月帝國大學工科大學を卒業して工學土の稱號を得同年八月農商務省特許局審査官に任し同四十一年四月特許局技師に任せらる其間第五回内國勸業博覽會審査官特許局發明審査課長特許品陳列所長東京勸業博覽會審査官等を命ぜられ又同三十三年巴里萬國博覽會附屬萬國學藝會議の内電氣萬國會議へ委員として參列仰付けられ同三十八年清國へ差遣せらる同四十三年一月旅順工科學堂教授に轉任し電氣工學科長を命せられ現に其職に在り大正二年一月上海南京漢口及長沙に出張被仰付 家族は尚二男進(明四〇、一〇生)あり 妹貞子は前外務大臣祕書官阪井德太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 旅順、新市街日進町一四一官舍 電話三六九 | |
参照人物(親類) | 阪井德太郞 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | とみた ただのり | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]