富井政章 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 正四位、勳二等 | |
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Title/ Family rank etc. | 京都府士族 | |
Occupation | 法學博士,貴族院議員,東京帝國大學名譽教授 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 安政五年九月十日 (1858) | |
Parent and relation | 富井政恒の長男 | |
Family | 妻 萬壽代 明二、五生、高知、士、澁谷寬長女 男 周 明二三、八生 男 雄吉 明二八、一〇生 女 淑 明三二、一一生 弟 悌三郞 明九、三生 弟妻 イネ 明九、八生、弟悌三郞妻、群馬、平、田島倉吉妹 | |
Biography | 君は京都府士族故富井政恒の長男にして安政五年九月十日を以て生る明治四年京都府立中學校に學ひ後京都府知事の選拔を以て京都佛語學校に入り同七年東京外國語學校に轉し後佛人ギーメ氏より招聘せられて佛國リオン府東洋博物館雇となり勤務の餘暇を以て同地の法科大學に入り法律學を研鑽すること五年優等の成績を以てドクトルアンドロアの學位を受け歸朝して司法省雇文部省准奏任御用掛となり同十八年法科大學教授に任せられ同二十一年法學博士の學位を受く同二十三年法科大學教頭に進み同二十四年貴族院議員に勅選せらる同二十六年法典調査會主査委員となり現行民法を起草し後法科大學長に補せらる同三十五年病を以て大學教授を辭したるも勳績を以て同大學名譽教授に列せらる曩に法典調査の功に依り勳三等に叙せられ旭日中綬章を賜り同三十九年四月日露事件の功に依り勳二等に叙せられ同年九月帝國學士院會員被仰付同四十年法律取調委員及商法修正主査委員長を命ぜらる 家族は前記の外四男恒雄(明三〇、一二生)四女久(同三六、五生)あり 長女みつ(同二〇、一一生)は新潟縣平民太刀川善藏弟平治に次女澄(同二六、七生)は東京府平民酒井晴雄に妹しつ(同二、一二生)は京都府平民中村茂三郞に嫁し次男次郞(同二五、三生)は分家し姪喜久(同三四、九生、弟悌三郞長女)は京都府人橋本孝友の養子となれり | |
Address phone | 東京、牛込、藥王寺町七一 電話番町二一一二 | |
Relative | ||
Degree | ||
Pronounciation | とみい まさあき | |
Another name |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- 4th Edition [January 1915]
- 8th Edition [July 1928]