豐田多三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳六等 | |
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爵位・身分・家柄 | 新潟縣平民 | |
職業 | 檢事、和歌山地方裁判所檢事正 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年十一月十三日 (1872) | |
親名・続柄 | 豐田治三郞の三男 | |
家族 | 母 スミ 安政五、一一生 兄 多一郞 元治元、九生、現戸主 妻 トシ 明五、一一生、新潟、平、橫山長之助長女 男 頴二 明三八、一一生 養子 太郞 明二六、九生、新潟、平、橫山長之助男 女 ノリ 明三二、六生 弟 治作 明二〇、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は新潟縣平民亡豐田治三郞の三男にして明治五年十一月十三日を以て生る同二十九年七月明治法律學校を卒業して翌三十年判檢事登用試驗に及第し直ちに司法官試補を拜命す同三十二年判事に任し同年八月更に檢事に轉し爾來高松古川小倉各區裁判所檢事神戸高松仙臺山形福島各地方裁判所檢事を經て同四十三年三月大分地方裁判所檢事正に陞り同四十五年七月高松地方裁判所檢事正となり後和歌山地方裁判所檢事正に轉任し現に其任にあり 家族は尚二女節(明三五、六生)三女文子(同四三、二生)三男三郞(同四五、三生)あり | |
住所・電話番号 | 和歌山地方裁判所官舍 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | とよだ たさぶろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]