鳥居忠文 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊壬生藩主 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化四年九月十二日 (1847) | |
親名・続柄 | 鳥居忠擧の四男 | |
家族 | 妻 嶺子 文久三、七生、子爵藪篤麿叔母 男 忠一 明一四、七生、正五位 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の裔鳥居彦右衞門元忠の後主膳正忠春より出つ忠春より十一代忠寶に至る世々壬生城主たり 君は先々代忠擧の第四子にして弘化四年九月十二日を以て生る明治三年兄忠寶の後を嗣き壬生藩知事に任し從五位に叙せらるそれより司法中錄外務省御用掛外務省書記生となり布哇國ホノルヽ在勤領事公使官書記官外務省書記官等に歷任し同▲十三年貴族院議員に選はれて引續き其職にあり日露事件の功に依り勳四等旭日章を賜ふ 家族は前記の外五男忠博(明三〇、一一生)あり 二男忠強(同一六、六生)は子爵三宅康寧長女幾子の夫となり三男忠輝(同二二、一生)は男爵住友吉左衞門長女孝子の婿養子となり四男忠治(同二五、四生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、中六番町一一 電話番町三六八 | |
参照人物(親類) | 子爵藪篤麿、子爵三宅康寧、男爵住友吉左衞門、※子爵綿織榮久 | |
参照次数 | 4 (※なし3) | |
読み | とりい ただぶみ | |
別名 |