English

遠田注 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄東京府士族
職業遠田脚氣醫院長
性別男性
生年月日嘉永四年九月十四日 (1851)
親名・続柄 遠田澄庵の長男
家族妻 なを 安政四、六生、東京、士、長島常仁長女
庶子男 泩 明二二、六生、生母、東京、平、北野よね
婦 松枝子 明二九、八生、庶子男泩妻、東京、士、辰巳一四女
庶子女 濤 明二〇、九生、生母、東京、平、北野よね
庶子女 滋 明二三、二生、生母、東京、平、三好てう
庶子男 淳 明二六、一〇生、生母、東京、平、三好てう
庶子女 鍬 明二九、八生、生母、東京、平、三好てう
妹 ひろ 明元、七生
妹 あと 明一六、七生
記述部分(略伝)君は東京府士族故遠田澄庵の長男にして嘉永四年九月十四日を以て生る夙に林洞海翁に醫術を研究し尚ほ父に就て脚氣治療法を學ひ又福井順堂の門に遊ぶ明治八年京都に出て松山章三に就き眼科を修め同十一年父澄庵と共に私立病院を起し脚氣を治療し同年官設脚氣病院勤務を仰付らる現今遠田脚氣醫院長たり
家族は前記の外庶子男温(明三一、一二生、生母、東京、平、三好てう)同女春(同三九、三生、生母同上)同花(同三三、一生、生母、東京、平、石井かね)孫園子(同四三、九生、庶子男泩庶子女)あり
長女すみ(同一一、一一生)は男爵赤松則良長男範一に嫁せり
住所・電話番号東京、牛込、市ケ谷船河原町一七 電話番町五四四
参照人物(親類)男爵赤松則良
参照次数2 (※なし2)
読みとおだ ちゅう
別名
画像を表示