戸田忠行 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳四等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 子爵、舊足利藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化四年九月五日 (1847) | |
親名・続柄 | 戸田忠祿の四男 | |
家族 | 妻 時子 安政三、九生、千葉、士、龜田謙郞妹 男 忠雄 明四、七生、從四位 婦 いく 明一三、二生、次男忠雄妻、千葉、平、池田榮亮三女 男 忠四郞 明二二、三生 男 五郞 明二七、一二生 孫 愛子 明二九、一生、次男忠雄長女、學習院女學部在學 孫 光子 明三一、一生、次男忠雄二女、學習院女學部在學 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足十一世公季六世實行の末裔三郞左衞門忠繼の後なり忠繼別に一家を創立す是れ當家の祖なり 君實は先々代忠祿の四男なり弘化四年九月五日江戸に生る大番頭陸軍奉行を經て明治二年以來足利藩知事海軍裁判所御用掛海軍省御用掛に任せられ同十七年子爵を授けらる甞て貴族院議員に當選する事二回なり 家族は前記の外孫忠孝(明二七、五生、次男忠雄長男)同住子(同四二、三生、同四女)同米子(同四五、二生、同五女)あり 五女楳子(同一九、一一生)は子爵太田資美三男資業に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、向ケ岡彌生町三 電話下谷二七二九 | |
参照人物(親類) | 子爵太田資美 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | とだ ただゆき | |
別名 |