土肥慶藏 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 醫學博士、東京帝國大學醫科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年六月九日 (1866) | |
親名・続柄 | 石渡宗伯の二男 | |
家族 | 妻 タイ 明一〇、一一生、京都、平、三井元之助妹 養子 悌四郞 明三八、三生、兄秀實十男 | |
記述部分(略伝) | 君は舊越前府中(武生)の藩醫石渡宗伯の二男にして母壽は從五位下橋本淡路守政貞の女賢婦の名あり慶應二年六月九日を以て生る母の弟故陸軍三等軍醫正土肥淳朴子なし君因て其家名を承く明治廿三年東京帝國大學醫科大學を卒業して醫學士の稱號を得直に同大學外科助手となりスクリバ氏に師事す同廿六年四月歐洲に留學し皮膚病黴毒學及泌尿器病學を專攻して同三十一年一月歸朝し同二月東京帝國大學醫科大學助教授に任じ皮膚病黴毒學講座を開始す同年七月教授に進み現今に及ふ翌三十二年三月論文提出に依り醫學博士の學位を受く同三十五年四月故小松宮殿下の英皇戴冠式參列に隨行被仰付同年九月歸朝同四十三年七月三度ひ歐洲に遊び朞年にして歸朝す同三十八年中央衞生會委員を命せらる君曩に伯林維納巴里等の專門學會の名譽會員に擧けられ又日本皮膚科學會を興し現に皮膚科及び泌尿器科雜誌を創刊して其主筆となる等斯學のオーソリチーとして令名あり門人栗田章司を養ふて獨逸に留學せしむること四年姪孝子(明二〇、二生)を妻はす現に醫學博士にして金澤醫學專門學校教授たり姪花(明二五、二生、東京、士、荒木盛英妹)を東京帝國大學醫科大學皮膚病室助手醫學士佐藤邦雄に妻はす等學資を投して親戚故舊の子弟を教養し成業せしめたる者甚だ多し | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、下二番町六 電話番町五五四 | |
参照人物(親類) | 三井元之助、荒木盛英 | |
参照次数 | 4 (※なし2) | |
読み | どひ けいぞう | |
別名 |