堀内良平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 山梨縣平民 | |
職業 | 富士身延鐵道株式會社常務取締役、大日本葡萄酒株式會社取締役、株式會社八達館監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年十一月三日 (1870) | |
親名・続柄 | 堀内藤右衛門の長男 | |
家族 | 妻 しげ 明四一、二生、山梨、平、里吉政弟二女 男 一雄 明二六、九生、陸軍士官學校在學 女 ともの 明二四、六生、山梨縣立高等女學校出身 弟 傳重 明一五、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は山梨縣平民堀内藤右衛門の長男にして明治三年十一月三日を以て生れ同三十年八月家督を相續す同三十二年郡制發布以來郡會議員同議長山梨縣會議員同參事會員等に擧けられ又甲州葡萄酒株式會社々長として同社經營の任に當り同四十一年報知新聞に入り經濟部を擔任して編輯の任に膺り同四十四年十二月同社を辭し翌四十五年四月富士身延鐵道株式會社の創立に際し推されて專務取締役となり現に其任にあり又大日本葡萄酒株式會社取締役株式會社八達館監査役を兼ぬ 弟傳重は農商務大臣の囑托を受け同三十六年中南米秘露に渡航現に同國タンポパタに於て農園を拓き護謨事業に從事しつゝあり 家族は尚二男義男(明三〇、九生)二女好子(同三五、一一生)三男正夫(同四四、一二生)あり 弟喜太郞(同六、四生)は其妻たかの(同八、一〇生、山梨縣人加藤宗與長女)及子を伴ひ分家し弟宗平(同一一、九生、海軍少佐橫須賀水雷學校教官)は父藤右衛門方へ入家せり | |
住所・電話番号 | 東京、四谷、霞岳町一八 電話芝四八六三 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | ほりうち りょうへい | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]