堀田正亨 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳六等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊江州宮川藩 | |
職業 | 豫備陸軍步兵少尉 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治元年九月二十六日 (1868) | |
親名・続柄 | ||
家族 | 妻 錫 明五、八生、亡養父正養長女 男 義正 明三三、三生 | |
記述部分(略伝) | 當家は加賀正盛の後なり正盛武州川越の城主となりしか後信州松本に移され更に佐倉に轉して十二萬石を領したり其子上野介正信當時の政治を非議したるを以て所領を沒せらる其子駿河守正朝に至りて一萬石を賜はり江州宮川の城主となる後五代を經て正養に至る正養曾て宮川藩知事東京各區長東京府會議長貴族院議員遞信大臣として令名あり君其後を享く 君實は子爵高木正善の養弟にして明治元年九月二十六日を以て生る同三十年先代正養の養子となり後家督を相續す 家族は前記の外長女影子(明三七、七生)二女二三子(同三九、二生)あり 妹善(同一一、七生)は子爵五島盛光に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、二十騎町二七 電話番町六二 | |
参照人物(親類) | 子爵五島盛光、子爵高木正善 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | ほった まさゆき | |
別名 |