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西村直 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄東京府平民
職業工業家
性別男性
生年月日明治二十一年十一月一日 (1888)
親名・続柄 西村勝三の四男
家族母 けむ 安政五、一生、東京、平、谷口竹次郞長女
記述部分(略伝)君は東京府平民西村勝三の四男にして明治二十一年十一月一日を以て生る父勝三は舊佐倉藩士西村平右衛門の三男にして江戸佐倉藩邸に生る幼にして文學及砲術を修め藩の砲術助教に擧けられ後ち支藩下野佐野侯の聘に應し製鉛業に從事す萬延年中京濱間を往來し内外貿易の狀態を視察して身を實業界に投し銃砲商を營み伊勢勝と稱す明治三年軍靴製造所を築地に設け技師を和蘭より聘して事業を傳習せしめ翌四年製革所を東京市外向島須崎村に設け軍用皮革の製造に從事す實に我國製靴製革業の嚆矢にして名聲隆々として高く同六年大總督府御用達となり尋て東京商社肝煎を命せらる後製革所を櫻組と改む其他或は洋服裁縫業兵士用莫大小製造女工所洋式革具製造場品川耐火煉瓦製造所等を建設して邦家に貢献する所尠からす世亦洋式工業家の先鞭者として之を推稱す其功績は亦朝廷の認むる所となり勅定の綠綬褒章を下賜せられ後ち正六位勳五等に叙せらる君は明治四十年一月其後を受け家督を相續す同四十二年東京高等工業學校を卒業し尋て一年志願兵を終へたる後見習として東京瓦斯株式會社に入り副生物精製の事を研究す期滿ちて更に一般應用化學研究の爲め歐米各國を巡遊し方今英國に在り
姉よし(明一八、四生)は醫師佐藤敏夫に妹孝(同二三、四生)は東京府士族古田瀧雄長男正彦に同ちよは同府平民山田政次に嫁し兄辭三郞は母の實家谷口氏を相續し兄讓は岡山縣平民河野家の養嗣子となり兄茂は長野縣人渡邊家の養嗣子となれり
住所・電話番号東京、荏原、品川町北品川七四〇 電話芝三八六
参照人物(親類)佐藤敏失
参照次数1 (※なし1)
読みにしむら ただし
別名
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