西村治兵衛 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 京都府平民 | |
職業 | 株式會社貯金商工銀行取締役、京都商工銀行監査役、千治、呉服商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十一年二月十五日 (1888) | |
親名・続柄 | 西村治兵衛の長男 | |
家族 | 母 るい 明四、二生、京都、平、岩佐五郞兵衛長女 妻 つる 明二五、一二生、愛知、平、岡谷惣助十一女 弟 齊次郞 明二三、一二生 弟 修二郞 明二七、三生 妹 文子 明三〇、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は京都府平民西村治兵衛の長男にして明治二十一年二月十五日を以て生れ初め治一郞と稱す同四十三年十二月家督を相續して先代治兵衛を襲名す屋號を千治と稱し呉服商を營み現時直接國税六百七十餘圓を納む尚前記諸會社の重役たり先代治兵衛は曾て京都市より選出せられて衆議院議員となり京都商業會議所會頭に推され其他數種銀行會社の重役を兼ね同地有數の實業家として其名を知られたり日露事件の功に依り勳五等に叙せらる 家族は前記の外弟正年(明四一、三生)長女政子(大二、四生)あり | |
住所・電話番号 | 京都、下京、三條室町西入 電話中二五三 | |
参照人物(親類) | 岡谷惣助、※伊藤由太郞、※伊藤守松 | |
参照次数 | 3 (※なし1) | |
読み | にしむら じへえ | |
別名 |