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伊藤大八 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正五位
爵位・身分・家柄長野縣平民
職業衆議院議員(長野縣郡部選出)、鐵道會議臨時議員
性別男性
生年月日安政五年十一月十五日 (1858)
親名・続柄 平澤健二郞の二男
家族妻 やゑ 慶應三、一二生、東京、士、高桑虎之助長女
男 酉夫 明三〇、一二生
記述部分(略伝)君は長野縣平民平澤健二郞の二男にして安政五年十一月十五日を以て生る家世々里正たり明治七年二月出て〻伊藤家を襲く同九年東京に出て中江兆民の佛學塾に入りて政治經濟及心理學を研究す業を卒へて塾幹となり二十年陸軍幼年學校譯官に任ぜられ二十二年陸地測量部兼勤を命ぜらる二十三年帝國議會開設に際し選はれて衆議院議員となり爾來當選する▲五回三十年毛武鐵道株式會社取締役に選ばれ三十一年憲政黨内閣に入り遞信省勅任參事官兼鐵道局長に任せられ正五位に叙せらる二十四年鐵道會議議員に三十一年十一月更に臨時鐡道會議員を命せられ今尚其職に在り三十四年江ノ島電氣鐡道會社を創設し其重役に推さる曩に立憲政友會の組織せらる〻や政務調査委員理事となり又本部幹事或は協議員となりて常に同會幹部に出入し重要の地位を占む殊に明治四十三年議會開會後は西園寺總裁より幹事長の重職を囑託せられ大正二年南滿洲鐵道株式會社副總裁仰付られしも同三年六月之を罷む其著佛和字林及道德論黃楊樓客間政理叢談等あり
家族は前記の外二男大一郞(明三四、八生)三男龍夫(同三七、七生)男大治(同三六、六生)
長女已八子(同一八、四生)は富山縣人氣篤清次郞長男清作に嫁せり
住所・電話番号東京、麴町、五番町二 電話番町四〇〇
参照人物(親類)
参照次数
読みいとう だいはち
別名
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