English

原田助 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄京都府平民
職業同志社校長
性別男性
生年月日文久三年十一月十日 (1863)
親名・続柄 鎌田收の二男
家族妻 崎 明五、八生、兵庫、士、川本泰平三女
男 健 明二五、一二生
男 泰 明二七、九生
女 芳子 明三〇、四生
女 秋子 明三二、九生
記述部分(略伝)君は熊本縣士族鎌田收の二男にして文久三年十一月十日を以て生る明治十五年五月先代原田林平の養子となり同二十五年分家して一家を創む夙に京都同志社に學ひ十七年卒業神戸基督教會の牧師となる二十一年渡米しヱール大學神學部に入り同二十四年業を卒へ歐亞各地を漫遊し現今京都同志社長に推され後ち校長を兼ぬ其間東京京都神戸に於て牧師たりし事あり又三十三年歐米に航し同三十八年印度各地に遊ひ印度青年會同盟の招聘にて講演の爲め同國各地の巡遊をなし又四十三年歐米漫遊の途に上り翌年歸朝す同年エデンボロ大學よりドクトル、オブ、ロースの名譽學位を同四十四年米國アモルスト大學よりドクトル、オブ、デビニチーの名譽學位を受領せり
家族は前記の外三女美佐尾(明三五、三生)三男淳(同三六、一〇生)四女文子(同三七、九生)四男精(同四〇、二生)五女美也子(同四二、四生)あり
住所・電話番号京都、上京、室町上立賣下ル裏築地町八八 電話上三二九九
参照人物(親類)
参照次数
読みはらだ たすく
別名
画像を表示