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物集高見 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從六位、勳六等
爵位・身分・家柄大分縣士族
職業文學博士、著述業
性別男性
生年月日弘化四年五月二十八日 (1847)
親名・続柄 物集高世の長男
家族男 高量 明一二、四生、文學士
男 高士 明二二、一一生
女 ミチ 明二六、九生
女 クニ 明二八、四生
記述部分(略伝)君は舊杵築藩士物集高世の長男にして弘化四年五月二十八日を以て生れ明治十三年一月家督を相續す夙に藩醫辻玄洋藩儒元田百平に就きて漢籍を玉松操平田鐵胤に就きて國學を近藤眞琴に就きて英學を修む明治三年宣教史生に任じ爾後權大講義中錄月山神社宮司兼湯殿山神社宮司文學部準講師東京師範學校御用掛等を經て同十九年二月宮内省内事課勤務を命ぜられ同年三月文科大學教授に任じ尋で文部省參事官を兼ね同九月文部書記官を兼ぬ同二十二年記錄課長となり同二十三年六月學習院教授を兼ね同三十二年三月文學博士の學位を授けられ同四月官を辭し專ら著述に從事しつゝあり先是明治十九年伊藤公の勸めにより廣文庫及び群章索引等大部の編纂に着手し爾來二十有餘年の歳月を費し着着發行しつゝありといふ
家族は前記の外五男高遠(明三二、三生)八女富(同三四、六生)あり
二女チヨ(同一六、八生)は兵庫縣平民物集伴次郞に三女ヨシ(明一九、四生)は神奈川縣人井田積藏長男守三に四女カズ(同二一、一〇生)は愛知縣人藤浪鑑弟則一に嫁し弟高材(嘉永元、四生)は其妻ヲサ(安政六、六生、靜岡、平、本間長吉養女)を伴ひ分家せり
住所・電話番号東京、本鄕、駒込林町二〇九 電話下谷三七七六
参照人物(親類)物集伴次郞藤浪鑑
参照次数2 (※なし2)
読みもずめ たかみ
別名
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