久水三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 朝鮮總督府仁川府尹 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政三年六月十九日 (1856) | |
親名・続柄 | 長澤屋宗の二男 | |
家族 | 妻 わか 慶應元、七生、東京、平、鈴木忠藏長女 養子 恒哉 明二一、二生、二女三和夫、青森、士、久水秀夫弟 女 三和 明二六、六生、養子恒哉妻 | |
記述部分(略伝) | 君は安政三年六月十九日の出生にして亡長澤屋宗の二男なり後青森縣士族久水金平の養子となり明治十三年分れて一家を創立す同四年笈を東都に負ひ藩費生として依儀社に學ひ同六年開拓使學校に入り在學中御前講義の榮を荷ひ御賞を賜ふ同十年外務省學生となり同十二年より三ケ年間英國軍艦の我邦沿岸測量中同艦乘込を命せらる同十五年花房公使に隨ひ朝鮮に赴任し同年七月變に遭ふ翌十六年仁川領事官に在勤し十八年領事代理を命せられ尋て元山芝罘に在勤し同二十六年二月二等領事に任し安東縣民政廳芝罘に在勤し同三十年十一月一等領事に進み木浦タウンスウヰル新嘉坡シヤトルに在勤し其間アフリカ内地歐洲各國北米各地を視察し又セントルイス世界大博覽會評議員兼務を命せらる同四十一年六月韓國統監府理事官に轉し大邱理事廳に在勤し翌四十二年五月元山理事廳理事官に轉し同四十三年朝鮮總督府設置と共に同府尹に任せられ現時仁川府尹たり 長女歌(明二一、一〇生)は山口縣士族河上謹一長女弘一に嫁せり | |
住所・電話番号 | 朝鮮、仁川府 | |
参照人物(親類) | 河上謹一 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | ひさみず さぶろう | |
別名 |