平井毓太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 三重縣平民 | |
職業 | 醫學博士、京都帝國大學醫科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年十月十一日 (1865) | |
親名・続柄 | 木場治兵衛の長男 | |
家族 | 妻 はま 明六、九生、三重、平、清水三右衛門姉 女 てる 明二七、三生 女 ちづ 明二九、一生 | |
記述部分(略伝) | 君は三重縣平民木場治兵衛の長男にして慶應元年十月十一日を以て生れ明治六年三月亡平井久太郞の養子となり同十四年三月家督を相續す同二十三年七月醫科大學を卒業して醫學士の稱號を得同大學助手となり同二十七年三月京都府療病院内科部長に轉し同三十二年五月小兒科學硏究の爲め獨逸國へ留學を命せられ同三十三年十一月京都帝國大學京都醫科大學助教授に任し同三十五年十一月歸朝同年十二月同教授に進み同三十七年四月醫學博士の學位を授けらる | |
住所・電話番号 | 京都、上京、富小路竹屋町北入 | |
参照人物(親類) | 清水三右衛門 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | ひらい いくたろう | |
別名 |