日比谷平左衛門 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 鐘淵紡績株式會社、東京毛織物株式會社各社長、第一生命保險相互會社、九州水力電氣株式會社各取締役、日本煉瓦製造株式會社監査役、日清紡績株式會社監督、三條瓦斯株式會社相談役、東京商業會議所特別議員、日比谷商店、綿糸商 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年二月二十一日 (1848) | |
親名・続柄 | 大島榮造の三男 | |
家族 | 妻 茂登 安政二、九生、東京、平、木村長兵衛二女 男 新次郞 明一四、三生 男 平吉 明二五、三生 男 平太郞 明二六、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は新潟縣平民大島榮造の三男にして嘉永元年二月二十一日を以て生れ舊名を吉次郞と稱す明治十一年六月先代つねの養子となり家督を相續し平左衛門と改む年甫めて十三東都に出てゝ綿花商松本屋の丁稚となる機才あり後重用せられて其支配人に擧けられしも幾くもなくして主家を辭し單獨日比谷綿花部を開店し業務益々振ふ曩に同業者と謀りて東京瓦斯紡績會社を創立し推されて專務取締役となり專ら經營の衝に當り後囑托されて富士紡績會社の事務を整理して其衰運を挽回し遂に兩社合同の策を劃して之を成就し今日の盛運に導けり現に前揭諸會社の重役に就任す直接國税六千九百餘圓を納む 長女繁(明一一、一一生)は其夫任次郞に從ひ二女たま(同一六、一二生)は其夫長太郞(同九、一〇生、東京、平、山崎祐太郞長男)に從ひ其子を伴ひ三男祐藏(同二二、七生)は各分家し三女つる(同二〇、一一生)は福島縣平民津田五一郞弟五郞に嫁し孫倭(同四一、五生、長男新次郞長女)は東京府平民齋藤やゑの養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、荏原、品川町、北品川御殿山二〇三 電話長芝三八八 | |
参照人物(親類) | 日比谷任次郞、日比谷新次郞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | ひびや へいざえもん | |
別名 | 吉次郞 |