淨法寺五郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 栃木縣平民 | |
職業 | 陸軍少將、青島守備軍參謀長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年四月二十八日 (1865) | |
親名・続柄 | 淨法寺操の二男 | |
家族 | 妻 ヒロ 明一〇、四生、立川直行三女 男 圭 明三二、三生 | |
記述部分(略伝) | 君は栃木縣平民淨法寺操の二男にして慶應元年四月二十八日を以て生れ明治三十九年十一月分家して一家を創立す同十七年陸軍士官學校に入り同二十年七月步兵少尉に任し同二十五年十二月更に陸軍大學校に入學し同三十年十二月優等を以て卒業し累進して同四十五年四月陸軍少將に任し大正三年十一月現職に補せらる其間參謀本部出仕獨逸國駐在墺國公使館附參謀本部附陸軍大學校兵學教官兼元帥副官第十七師團第一師團各參謀長步兵第二十九旅團長等に歷補せらる日清戰役の功を以て勳六等に叙し北清事變の功に依り勳五等に日露戰役の功を以て勳三等に陞叙らせれ日獨の役青島攻圍軍に參加し偉勳を奏せり 家族は尚二男行(明四二、四生)長女壽子(同四四、七生)あり | |
住所・電話番号 | 支那、青島守備軍司令部 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | じょうほうじ ごろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]