滋野清武 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 男爵、東京府華族 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十五年十月六日 (1882) | |
親名・続柄 | 滋野清彦の三男 | |
家族 | 母 房子 安政五、七生、大阪、平、黑崎彌四郞長女 弟 清煕 明二二、九生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代滋野清彦より家名を揚く清彦は舊山口藩士にして年十八歳藩の奇兵隊に入り伍長となる翌年外艦と馬關に戰ふ後第一及第二銃隊長となり慶應元年征長の幕兵と戰ひて功あり爾後戊辰の役佐賀の亂西南の役に奮戰し明治十八年第四旅團長となり翌年陸軍士官學校長に補し其翌年近衞第二旅團長に轉し五月特旨を以て華族に列し男爵を授けられ十一月陸軍中將に進む 君は其三男にして明治十五年十月六日を以て生れ同二十九年家督を相續す夙に陸軍に志さし廣島陸軍幼年學校に學ひしか後志を轉し佛國に渡り飛行機學校に入り業を了つて歸朝し令名あり 家族は前記の外長女露子(明四二、七生)あり 姉花子(同一一、五生)は山口縣士族陸軍騎兵中佐河野恒吉に妹君子(同二〇、九生)は東京府平民川上昌保長男淳に同幸子(同二三、一一生)は熊本縣平民益田陽一長男律治に同足子(同二四、一二生)は山口縣人葛原猪平に嫁し弟忠愨(同二八、九生)は東京府平民酒井忠量の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、澁谷町中澁谷四二五 | |
参照人物(親類) | 益田陽一 | |
参照次数 | 2 (※なし1) | |
読み | しげの きよたけ | |
別名 |