志岐守治 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳四等、功三級 | |
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爵位・身分・家柄 | 鹿兒島縣士族 | |
職業 | 陸軍步兵大佐、教育總監部第二課長兼將校生徒試驗常置委員主事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治四年四月一日 (1871) | |
親名・続柄 | 志岐守行の長男 | |
家族 | 妻 久子 明一一、九生、鹿兒島、士、山本盛秀二女 養子 親治 明三六、九生、鹿兒島、士、志岐重義二男 弟 守二 明一〇、九生 | |
記述部分(略伝) | 君は鹿兒島縣士族先代亡志岐守行の長男にして明治四年四月一日を以て生れ同十一年二月家督を相續す同二十四年三月陸軍步兵少尉に任せられ爾來累進して大佐に進み教育總監部第二課長兼將校生徒試驗常置委員主事に補せらる其間步兵第四十三聯隊大隊副官士官學校教官臺灣守備混成旅團參謀後備第一師團副官兼管理部長後備步兵第十七聯隊長步兵第二十一聯隊長第四師團參謀長等に歷補し又陸軍大學校を卒業し軍事硏究の爲め佛國に差遣さる日清の役には勳六等功五級に叙せられ日露の役には步兵第十二聯隊長として出征して各地に轉戰して功あり勳四等功三級に昇叙さる 妹チヨ(明六、一二生)は石川縣士族奥山健太郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、市ケ谷富久町一九 | |
参照人物(親類) | ※大迫尚道 | |
参照次数 | 1 | |
読み | しき しゅじ | |
別名 |