水谷叔彦 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等、功四級 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 豫備海軍機關少將、株式會社日本製鋼所取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年十二月二十八日 (1867) | |
親名・続柄 | 水谷眞清の長男 | |
家族 | 妻 まち 明四、三生、福井、士、亡大館源太郞妹 男 八郞 明三七、一〇生 女 久 明三一、八生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊愛知縣士族水谷眞清の長男にして慶應二年十二月二十八日を以て生れ明治二十年九月家督を繼ぐ同十八年七月海軍機關學校を卒業し同十九年十月海軍少機關士に任し同二十六年六月英國に留學を命せられ同三十六年機關大監に任し呉海軍工廠造機部長兼海軍大學校教官に補し同四十年四月英米に差遣せられ同年十一月歸朝同四十二年十二月海軍機關少將に陞進し呉海軍工廠造機部長に補せられ後ち豫備仰付らる曩に日露戰役の功に依り勳三等に叙し功四級金鵄勳章を賜はる現時株式會社日本製鋼所取締役たり 家族は前記の外三女春(明三五、四生)二男九郞(同四〇、七生)四女道子(同四二、一〇生)五女秋子(同四四、一一生)あり 弟逞三(同四、七生)は其妻さた(同一六、一生、福井縣人永宮藤太郞長女)及子をを伴ひて分家し同最(同一七、四生)も亦分家し同氶(同一一、三生)は東京府人大須賀千代の養子となれり | |
住所・電話番号 | 北海道、室蘭、日水製鋼所社宅 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | みずたに よしひこ | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]