三島毅 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 文學博士、宮内省御用掛 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保元年十二月九日 (1831) | |
親名・続柄 | 三島昱の二男 | |
家族 | 男 桂 明元、八生、鐵道院書記 婦 〓壽 明一四、一生、埼玉、平、眞中直道女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊松山藩士三島昱の二男にして天保元年十二月九日を以て生れ中洲と號す幼時山田方谷の門に學ひ尋て伊勢津藩に遊ひ齋藤拙堂を師とせり後昌平黌に入り業を佐藤一齋安積艮齋に受く明治五年仕官して判事に任せられ新治裁判所長となり同八年大審院判事となり同十年官を罷む同十四年大學教授に任し同二十九年東宮侍講に任せられ同三十三年文學博士の學位を受く尋て宮内省御用掛仰付らる君又夙に二松學舍を創設して漢學を授く教を受けし者實に六千餘名の多きに上ると云ふ尚著はす所詩書輯説中洲文稿等あり 家族は前記の外孫一(明三〇、一〇生、長男桂長男)あり 二男廣(同四、一一生)三男復(同一一、一二生、文學士)は各分家し養子數(同三、二生、岡山、士、大石如雲六女)は石川縣平民大城戸宗重に同けい(同六、四生、岡山、士、山田準養妹)は岡山縣人熊田鐵次郞に同たつ(同八、一生、東京、平、佐藤長藏養妹)は兵庫縣士族柳井貴三に同しか(同三、九生、岡山、平、神崎貞三郞四女)は東京府士族久保雅友に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、一番町四五 電話番町二三八八 | |
参照人物(親類) | 山田準 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | みしま たけし | |
別名 |