清野勇 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 正六位 | |
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Title/ Family rank etc. | 靜岡縣平民 | |
Occupation | ||
Gender | 男性 | |
Birthday | 嘉永五年九月五日 (1852) | |
Parent and relation | 清野一學の長男 | |
Family | 母 いち 弘化元、一一生、千葉、士、井澤銀藏三女 妻 れん 文久二、四生、靜岡、士、櫻井教孝三女 男 謙次 明一八、八生、醫學士、歐洲留學中 男 主 明二一、三生 男 博 明二四、一〇生 男 泰明 明二八、四生 | |
Biography | 君は靜岡縣平民清野一學の長男にして嘉永五年九月五日を以て生れ明治十五年十二月家督を相續す遠祖清三郞兵衛は武田信玄の家臣にして勝賴滅亡の後舊領地駿河國富士郡上野村に居住す嚴父一學鄕里を出てゝ同國沼津に住するに及んて上野村の野の一字を取りて清野と稱す累代醫を業とし十五世に及ふ君明治の初年東京に出て大學豫備門に入り同十二年東京大學醫學部を卒業して醫學士の稱號を得同年十二月岡山縣立病院長に聘せられ同院附屬醫學校教頭を兼ぬ同十八年第三高等學校醫學部教授に任せられ同二十二年大阪醫學校長に轉し同病院長を兼ぬ同三十一年冠を挂けて大阪市西區土佐堀に於て醫術を開業し一般診療に從事したるも曩に業務を罷めて今や閑散の位置にあり 長女しん(明一四、一生)は兵庫縣士族福島行信に二女やす(同一六、八生)は大阪府平民高安道成に三女よし(同二〇、一生)は東京府士族石原近義長男助熊に四女文(同二二、一二生)は同府士族赤星鐵馬に嫁し弟勉(安政元、一〇生)は其妻くま(慶應元、八生、靜岡、平、長倉安平長女)を伴ひ分家せり | |
Address phone | 京都、愛宕、田中村 | |
Relative | 福島行信,高安道成,赤星鐵馬 | |
Degree | 3 (except※3) | |
Pronounciation | きよの いさむ | |
Another name |