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芳賀矢一 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從四位、勳三等
爵位・身分・家柄福井縣士族
職業文學博士、東京帝國大學文科大學教授
性別男性
生年月日慶應三年五月十四日 (1867)
親名・続柄 芳賀眞咲の長男
家族母 わき 嘉永四、三生、福井、士、山村紋太夫二女
妻 鋼 明八、九生、靜岡、平、潮田方藏妹
男 檀 明三六、六生
女 敏子 明二九、一二生
女 みつ子 明三三、一二生
弟 眞五 明一六、一生
弟妻 ツル 明二三、三生、弟眞五妻、新潟、平、秋山右門姉
記述部分(略伝)君は福井縣士族芳賀眞咲の長男にして慶應三年五月十四日を以て生れ明治三十九年五月家督を相續す夙に文科大學國文科を卒業して文學士の稱號を得後大學院に入學す二十七年九月第一高等學校國文科講師を囑托せられ二十八年三月同校教授兼高等師範學校教授に任せらる三十一年東京帝國大學文科大學教授に兼任し三十二年高等師範學校教授兼東京帝國大學文科大學助教授に任せられ尋て大學教授專任となり三十三年獨逸に留學を命せらる同三十五年八月歸朝同九月更に東京帝國大學文科大學教授に任せられ三十六年文學博士の學位を授與せらる
家族は前記の外二、男梓(明三七、一二生)四女咲子(同三九、二生)三男篁(同四〇、三生)五女國子(同四二、一一生)四男定(同四二、一一生)弟楠彦(同三四、九生)甥眞人(同四一、一一生)弟眞五長男)同眞武(同四四、一〇生、同二男)同眞秀(大二、一二生、同三男)あり
長女田鶴子(同二八、八生)は工學土池永雅之助に妹シツ(同八、九生)は岡山縣平民石原健三に嫁せり
住所・電話番号東京、小石川、音羽町三ノ二二 電話番町一一八〇
参照人物(親類)潮田方藏石原健三
参照次数2 (※なし2)
読みはが やいち
別名
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