實吉安純 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳一等、功二級 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | 醫學博士、海軍軍醫總監、貴族院議員、日本赤十字社常議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年三月二十日 (1848) | |
親名・続柄 | 實吉安福の二男 ** | |
家族 | 妻 れん 萬延元、一一生、岐阜、士、古屋謙二女 男 純郞 明一二、六生、從五位、醫學士 婦 あや 明二一、一生、長男純郞妻、福岡、士、稻垣米門妹 男 敏郞 明一九、一一生、海軍少尉候補生 男 吉郞 明二三、七生 男 雅郞 明二六、六生 男 捷郞 明二八、一生 女 ユリ 明三二、七生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士故實吉禎造の弟にして嘉永元年三月二十日を以て生れ明治三十三年五月分家して一家を創立す同七年海軍中軍醫に任し同十二年七月英國へ留學し同二十四年八月醫學博士の學位を受け同二十五年八月海軍軍醫總監に進み同三十年四月海軍省醫務局長に補せらる其間海軍軍醫學校教授兼監事同校長海軍衞生會議長等に歷補し同三十三年五月功により男爵を授けられ同四十年日露事件の功により子爵に昇爵せらる現今貴族院議員日本赤十字社常議員たり 家族は前記の外八男金郞(明三〇、五生)三女ミコ(同三四、一〇生)孫純一(同四〇、一一生、長男純郞長男)同ぬい(同四三、一生、同長女)あり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、東鳥居坂町九 電話芝二一五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | さねよし やすずみ | |
別名 |