酒井忠晃 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊羽後松嶺藩 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十年八月二十一日 (1887) | |
親名・続柄 | 酒井忠匡の長男 | |
家族 | 妻 槇尾子 明二〇、三生、掌侍樹下範子姪、實踐女學校出身 | |
記述部分(略伝) | 當家は德川四郞義季の末葉酒井左衛門忠次の曾孫大學頭忠恒の後なり忠恒別家して羽後松嶺の藩主となり夫より六代忠良を經て忠匡に至る忠匡明治二年六月松嶺藩知事に同年七月大學頭に任し同十七年七月子爵を授けらる 君は其長男にして明治二十年八月二十一日を以て生れ初め晄と稱す同四十四年四月家督を相續して今の名に改む現時從五位たり 姉孝子(明一七、二生)は東京府士族木村春東男甚三郞に同克子(同一九、七生)は男爵賀島政一に叔母鏻子(同五、一〇生)は長野縣土族竹村清七に妹半子(同二五、六生)は東京府平民田岡忠次郞長男英一郞に嫁し弟淨(同二三、九生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、豊多摩、大久保町西大久保二八六 電話番町五二七〇 | |
参照人物(親類) | 男爵賀島政一、田岡忠次郞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | さかい ただあきら | |
別名 |