天埜三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 愛知縣平民 | |
職業 | 株式會社枇杷島銀行副頭取、株式會社尾三貯蓄銀行、株式會社尾三農工銀行、尾張織布株式會社各取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治六年二月九日 (1873) | |
親名・続柄 | 天埜佐兵衞の長男 | |
家族 | 母 〓ね 嘉永二、四生、愛知、平、佐治林藏長女 妻 さた 明一一、八生、愛知縣人加藤彦吉長女 男 康彦 明三四、一生 | |
記述部分(略伝) | 君は愛知縣平民天埜佐兵衞の長男にして明治六年二月九日を以て生れ同三十七年十一月家督を相續す名古屋知名の實業家にして現に前揭諸會社の重役たり 家族は前記の外三男秀彦(明四〇、六生)四男義彦(同四三、四生)長女みつ(大元、一〇生)あり 二男信彦(明二六、二生)は養兄天埜一松の養子となり姉よね(同二、五生)は其夫一松(同六、一生、愛知、平、船橋儀右衛門弟)と共に分家し妹いと(同二〇、一二生)は愛知縣人永田金五郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 愛知、西春日井、新川町 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | あまの さぶろう | |
別名 |