荒木寅三郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 群馬縣平民 | |
職業 | 醫學博士、京都帝國大學醫科大學教授、同大學長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應二年十月十七日 (1866) | |
親名・続柄 | 荒木保爾の長男 | |
家族 | 母 すま 弘化二、一一生、新潟、平、矢川武左衛門二女 妻 きん 明一〇、一〇生、京都、平、井上勤所四女 男 新太郞 明三〇、四生 | |
記述部分(略伝) | 君は群馬縣平民先代亡荒木保爾の長男にして慶應二年十月十七日を以て生れ明治十六年十二月家督を相續す明治二十二年醫科大學を卒業して獨逸に航しストラスブルグ大學に入り生理學を硏究す同二十四年業を卒へドクトルメデイチンの學位を受け同二十八年歸朝す翌年一月第三高等學校教授に任し正七位に叙せられ同三十年三月醫學博士の學位を授けらる同三十二年九月京都帝國大學醫科大學教授に任し現今に至る 家族は前記の外長女春(明三六、六生)二女清子(同三八、七生)三男三郞(同四二、三生)三女薰(大元、一一生)あり 二男隆爾(明三二、八生)は群馬縣人茂木猛四郞の死跡を養子勇祐(同一三、六生、新潟、平、矢川邦祐弟)は群馬縣人茂木隆爾の死跡を相續せり | |
住所・電話番号 | 京都、愛宕、下鴨村 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | あらき とらさぶろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]