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荒井泰治 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄宮城縣士族
職業貴族院議員、宮城縣多額納税者、仙北輕便鐵道株式會社、打狗整地株式會社、鹽水港製糖株式會社、臺灣殖産株式會社、臺灣製帽合資會社各社長、打狗土地株式會社、仙臺瓦斯株式會社、臺灣肥料株式會社、臺灣商工銀行、臺東拓殖製糖株式會社各取締役、株式會社臺灣日々新報社、水戸瓦斯株式會社、株式會社仙臺米穀取引所、臺灣瓦斯株式會社、臺灣海産産業株式會社、臺灣石鹼株式會社各監査役、新竹製腦株式會社、新竹電燈株式會社、株式會社、東北實業銀行各相談役、仙臺商業會議所特別議員
性別男性
生年月日文久元年五月十六日 (1861)
親名・続柄 荒井盛行の長男
家族母 きみ 天保一二、八生、宮城、士、下郡山信平長女
妻 きり 明一三、一生、茨城、平、柏谷作次郞叔母
甥 泰男 明三三、七生
養女 ぶん 明二九、一生、宮城、士、福井廣氏孫
妹 ゑな 明一二、九生
記述部分(略伝)君は宮城縣士族荒井盛行の長男にして文久元年五月十六日を以て生れ同三十年四月家督を相續す夙に中江兆民の門に遊び後ち政治界に投じ侃諤の議を唱ふること多年轉じて鐘淵紡績會社の支配人となり尋て富士紡績會社の創立事務に參與し明治三十二年サミユル商會に入りて臺灣支店長たる事九年同四十年鹽水港製糖會社の增資に際し其社長に擧げられ爾來力を專ら臺灣の開發に盡し現時前記諸會社の重役として臺灣實業界の重鎭たり方今宮城縣の多額納税者にして直接國税三千三百餘圓を納む曩に貴族院議員に選はれ其任に在り
家族は尚庶子女治子(明四〇、五生、生母、東京、平、五十嵐吉郞兵衞養女きよめ)二男盛次(同四一、九生)三男安三(同四三、六生)あり
從妹よし(同九、一〇生、亡叔父與三郞長女)は宮城縣平民鈴木龜三郞に嫁せり
住所・電話番号東京、小石川、江戸川町一八 電話長番町八八五
臺北、大加蚋堡艋▲西門外街二
参照人物(親類)
参照次数
読みあらい たいじ
別名
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