石河幹明 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 茨城縣士族 | |
職業 | 時事新報主筆、慶應義塾理事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政六年十月十七日 (1859) | |
親名・続柄 | 石河竹之助の三男 | |
家族 | 妻 さと 明六、四生、茨城、士、關恕長女 男 明夫 大元、一二生 女 豐 明二七、二生、私立香蘭女學校出身 女 くに 明三一、九生、私立香蘭女學校通學 兄 幹正 嘉永元、一一生、現戸主 嫂 す〻 安政二、一一生、兄幹正妻、茨城、士、鈴木揚芳妹 甥 幹武 明二七、一二生、兄幹正二男 | |
記述部分(略伝) | 君は舊水戸藩士石河竹之助の三男にして安政六年十月十七日を以て生る曩に慶應義塾を卒業し時事新報社に入り方今主筆として穩健着實の健筆を振ふ甞て歐洲を漫遊せり又慶應義塾理事にして德川家評議員を嘱托せらる 家族は前記の外四女ミツ(明三八、九生)五女フジ(同四一、二生)あり 長女きみ(同二四、九生)は男爵松尾臣善四男武夫に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、富士見町九 電話芝一二五六 | |
参照人物(親類) | 男爵松尾臣善 | |
参照次数 | 1 (※なし1) | |
読み | いしかわ みきあき | |
別名 |