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榎本武憲 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從四位
爵位・身分・家柄子爵、東京府華族
職業貴族院議員
性別男性
生年月日明治六年一月一日 (1873)
親名・続柄 榎本武揚の長男
家族妻 梅子 明一五、一生、伯爵黑田清仲姉
男 清武 明三三、八生
弟 春之助 明一三、一生
弟妻 壽子 明二八、六生、弟春之助妻、秋田、士、織田信鄕長女
弟 尚方 明一六、一一生
弟妻 登免 明二五、六生、弟尚方妻、東京、士、岩元貞英二女
記述部分(略伝)當家は先代榎本武揚より現はる武揚安政年間海軍練習所教授となり後和蘭に航し在留六年海陸の兵制に就て造詣する所あり戊辰の役開陽回天の二艦を卒ゐて凾館五稜廓に據り大鳥圭介等と共に王師に抗し戰敗れて降を軍門に乞ふ朝廷死一等を減し獄に下せり明治五年其罪を赦され同七年海軍中將に任じ後特命全權公使に任ぜられ魯國に駐劄し同十五年更に清國駐劄を命ぜらる同十八年遞信大臣となり二十年華族に列し子爵を授けられ同二十二年文部大臣となり後樞密顧問官となり同二十四年外務大臣に親任せられ次で再び樞密顧問官となり同二十七年農商務大臣となり同卅年其職を辭せり後ち議定官となり正二位勳一等に叙せらる同四十一年十月病を以て薨す
君は其長男にして同六年一月一日を以て生れ同四十一年十月家督を嗣ぎ襲爵仰付らる同三十一年東京帝國大學法科大學英法科を卒業し法學士の稱號を得現時貴族院議員たり
家族は前記の外長女千代子(明三八、一生)二女菊子(同四〇、八生)二男武英(同四三、一一生)甥茂(同四四、一二生、弟尚方長男)同進(大二、八生、同二男)あり
住所・電話番号神奈川、足柄下、小田原町十字三ノ七〇九
参照人物(親類)伯爵黑田清仲
参照次数1 (※なし1)
読みえのもと たけのり
別名
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