近藤次繁 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 愛知縣平民 | |
職業 | 醫學博士、東京帝國大學醫科大學教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年十二月朔日 (1866) | |
親名・続柄 | 鶴見次高の二男 ** | |
家族 | 妻 おきて 明七、一一生、愛知、平、近藤坦平長女 男 經一 明三〇、四生 | |
記述部分(略伝) | 君は長野縣士族鶴見次昌の弟にして慶應元年十二月朔日を以て生れ後先代おきての入夫となり明治二十四年二月家督を相續す同年醫科大學を卒業して醫學士の稱號を得直に同大學助手となり第一醫院に勤務す同三十二年獨逸に留學を命ぜられストラスブルヒ大學に入り尋てハイデルベルヒ大學に轉じ外科學を專攻せり後伯林大學墺國維納大學等に學び同二十八年佛國巴里に至り各種の病院を視察し歸朝後醫科大學助教授に任ぜられ尋て教授に進み現今に至る同三十二年醫學博士の學位を授與せらる 家族は尚二男綸二(明三二、一〇生)長女愛子(同三八、七生)四男駿四郞(同三六、八生)五男臺五郞(同四〇、六生)二女房子(同四二、五生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、丸山新町二一 電話下谷七一七 | |
参照人物(親類) | 近藤坦平、※伊丹繁 | |
参照次数 | 2 (※なし1) | |
読み | こんどう つぎしげ | |
別名 |