近藤廉平 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、東京府華族 | |
職業 | 日本郵船株式會社、日清汽船株式會社各社長、麒麟麥酒株式會社、橫濱船渠株式會社、猪苗代水力電氣株式會社、東京海上保險株式會社各取締役、日本窒素肥料株式會社相談役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年十一月二十五日 (1848) | |
親名・続柄 | 近藤玄泉の二男 | |
家族 | 男 滋彌 明一五、九生、從五位、東京市電氣局技師 婦 信子 明二五、五生、三男滋彌妻、子爵松平賴和長女 男 廉治 明二四、九生 女 タカコ 明二〇、一〇生 庶子女 清子 明二八、一二生、生母、東京、平、田中こと | |
記述部分(略伝) | 君は德島縣平民近藤玄泉の二男にして嘉永元年十一月二十五日を以て生れ明治十四年十二月大叔父源兵衞の絶家を再興せり夙に慶應義塾に學び後ち日本郵船會社に入り漸次累進して副社長となる同二十七年征清の役起るや吉川社長を輔佐して大に軍事輸送に盡瘁し平定後功を以て勳四等に叙し旭日小綬章を賜はる尋で吉川泰二郞の後を襲ふて其社長となり事業經營の重任を負へり河三十七年日露戰役の際又軍事輸送に力め功により同四十年勳二等に陞叙し重光旭日章を賜はり同四十四年八月勳功に依り特旨を以て華族に列し男爵を授けらる方今日本郵船株式會社々長外前揭諸會社の重役を兼ぬ 家族は前記の外庶子男廉之助(明三一、四生、生母、東京、平、田中こと)孫多滿子(大二、九生、三男滋彌長女)あり 二女八重子(明一八、八生)は和歌山縣士族濱口擔に長女榮子(同一二、三生)は東京府士族大久保利武に庶子女富路子(同二七、二生、生母、東京、平、田中こと)は德島縣士族橋本久太郞長男敬之に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、市ケ谷田町一ノ八 電話番町四七二 | |
参照人物(親類) | 子爵松平賴和、濱口擔、大久保利武、橋本久太郞 | |
参照次数 | 4 (※なし4) | |
読み | こんどう れんぺい | |
別名 |