加藤正義 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | ||
職業 | 日本郵船株式會社副社長、東京商業會議所常議委員、日韓通商協會評議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年二月二十三日 (1854) | |
親名・続柄 | 加藤良吉の二男 | |
家族 | ||
記述部分(略伝) | 君は鳥取縣士族加藤良吉二男にして安政元年二月二十三日を以て生る君幼にして才幹あり藩參事關義臣の知遇を得て其置賜縣令に轉ずるや擧げられて第五大區事務取締總理に任ぜらる後三島通庸の其令たるや其職を免ぜらる又兵庫縣令森岡昌純の愛顧を得て職を兵庫縣に奉じ又森岡に從て農商務省に入り其の書記官となり暫時にして非職となり共同運輸會社に投ず時恰も同社が三菱會社と海運上の競爭を爲し海運事業の衰退を來たすの恐あるを以て調停斡旋の任に當り合併の策を建て遂に郵船會社創設の完成を見る以後同社に在つて盡瘁画策する所尠なからず現に近藤廉平社長となるに及んで副社長に推されて黽勉其職に當る 「戸籍取調中」 | |
住所・電話番号 | 東京市麴町區元園町一ノ二 電話番町三〇五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | かとう まさよし | |
別名 |