大島義昌 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳二等、功三級 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊山口藩士 | |
職業 | 陸軍中將第三師團長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年八月十五日 (1850) | |
親名・続柄 | 大島慶三郞の長男 | |
家族 | 妻 はつ 慶應元年六月生山口縣士族佐久間左輔長女 男 陸太郞 明治十七年十月生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊山口藩士故大島慶三郞の長男なり嘉永三年八月十五日を以て生る安政四年家督相續明治八年陸軍步兵少尉に任じ同三十一年陸軍中將に歷進し現職に補せらる其間步兵第五聯隊長陸軍士官學校次長東京鎭臺參謀長第九旅團長對馬警備隊司令官等の榮職にあり同二十七年朝鮮東學黨の亂起るや混成旅團長となり京城に入り我公使館及領事館居留人民を保護し大鳥公使を援けて強硬の交外政策を取らしむ終に日清の葛藤起るや成歡の激戰清將葉志超聶士成の兵を破りそれより平壤鳳凰城龍頭塞三家子塔子峪牛莊城田莊臺等に戰ひ連戰連勝翌二十八年凱歌を奏して歸る其の勳功に依り勳二等に叙し功三級金鵄勳章を賜ひ特に華族に列し男爵を授けらる 家族は前記の外男義三(明治二十一年八月生)女二三子(同二十三年九月生)あり 女秀子(同十四年七月生)は東京府士族本當恒次郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京府北豐多摩郡内藤新宿町大字北裏町一一五 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | おおしま よしまさ | |
別名 |